「Cruelty Free Life」カテゴリーアーカイブ

私の一日

私は現在、東京都内に家族と鳥たちとともに住んでいます。私が起床してまず行うことは、庭で暮らしている二羽のアヒルのための食事の支度です。アヒルたちは毎朝おなかをすかせて目を覚まし、大声で鳴いて空腹を訴えるので、急いで食事を用意しなければなりません。

アヒル
アヒル
騒音公害になりそうなほどの大きな鳴き声にもかかわらず、これまで近所の住民から苦情が来たことは一度もありません。我が家の庭は高い塀で囲まれており、外からは内側が見えないので、どこかで鳴いているカラスの声とでも思われているのでしょうか。
また庭には竹や桐の大樹が密集していて、カラスの他にもキジバト、スズメ、メジロ、ウグイス、ムクドリなどの野鳥が遊びに来るので、それらの鳴き声と間違われているのかもしれません。我が家のアヒルは、普段は「ガーガー」とアヒルらしく可愛い声で鳴きますが、食事を催促する時は「アヒャー!!」と凶暴化します。この大声の主は、体格の大きなメスのアヒルです。もう一羽の方は、小柄で声も小さめです。この二羽が「ガー」「ガガガガ」と会話しながら庭を散歩する様子は、とてもほほえましいです。
アヒルの食事の内容は、トマト、きゅうり、キャベツ、小松菜、めん類(うどんなど)、フランスパン、チャボ用の配合飼料などで、生野菜が主です。アヒル用に市販されている固形飼料も以前に試してみましたが、気に入らないらしく大量に残してしまうので、試行錯誤の末、現在の献立に落ち着きました。
これらを盛った皿の横には、水をなみなみと注いだボウルを並べておきます。アヒルはいったん食べ物を口に入れてから、水といっしょに飲み込むようにして食べるのです。食事はキッチンで用意してから庭に運ぶのですが、二羽のアヒルは私の姿を見ると声を上げて一目散に逃げます。怖がらせるようなことをしたわけではないのですが、アヒルたちは私を信用していないらしく、絶対に近づこうとしません。ひなの頃から育てていないと、アヒルは人間になかなか慣れないものなのでしょう。
我が家でアヒルを飼い始めたいきさつについては後ほどお話しします。アヒルたちは私が家に戻るのを草むらのかげから見届け、身の安全を確認したのち、ようやく「ガッ」「ガー」と相談し合いながら、のそのそと出て来て食事を始めます。
食事の支度の後は、プールの掃除と水換えをします。我が家の庭には、造園業者に特別に作らせたアヒル専用プールがあるのです。日が照っている間、アヒルたちはプールで泳いだり、プールサイドで毛づくろいしたりして過ごします。飛び散った水で周辺がぬかるみやすいので、樹皮チップを敷きつめてあります。犬や猫とは異なり、アヒルにはトイレットのしつけができません。そこらじゅうに落ちているふんを洗い流して、アヒルの生活環境を清潔に保つのも私の重要な仕事です。
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チャボ
それからチャボとクジャクバトの世話をします。我が家にはチャボが五羽とクジャクバトが四羽住んでいます。チャボとクジャクバトの食事は、チャボ用とハト用それぞれの配合飼料に数種類の植物の種や実を混ぜ、さらに小松菜などの生野菜を少し加えたものです。アヒルの食事ほど支度に時間はかかりませんが、食べ散らかすので後片付けが大変です。特にクジャクバトは好き嫌いが激しく、嫌いなものは除けて辺りにばらまきます。ちなみに麻の実がいちばんの好物のようです。
天気のよい日は、チャボとクジャクバトを庭先のパーゴラの中で日光浴させます。これも造園業者に特注したものです。パーゴラとは、ツタなどの木が巻き付けるように枠を組んだ棚のことですが、我が家のパーゴラは鳥を中で安全に遊ばせるための特別仕様になっており、カラスや猫などの肉食獣が入って来ないよう、天井はプラスチックの波板と金網で覆い、そして四方にはすき間なく格子状の木枠をはめています。つまり庭先に巨大なケージがあるような感じです。
パーゴラ内には、チャボが砂浴びをできるよう園芸ショップで買ってきた川砂をまいています。格子のすき間から入ってくるスズメが砂浴びを楽しんでいることもあります。また土中にはネズミやミミズや昆虫が住んでいるらしく、よく姿を見かけます。
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クジャクバト
チャボとクジャクバトを外で遊ばせている間に、自分の食事を用意します。私はベジタリアンです。肉はもちろん、魚も乳製品も食べません。最近は毎日そばを作って食べています。ベジタリアン用の食品を扱っているオンラインショップから、待望のめんつゆを入手したからです。これまでは自分で昆布を煮て、しょうゆ、塩、みりんなどで味付けをして作っていましたが、これでは一度にたくさん作るので無駄が出てしまうし味付けが難しいので、このめんつゆは重宝しています。
食事の後は、自転車に乗って、近所に食料の買い出しに出かけます。アヒル用の野菜やパンやうどん、チャボとハト用の配合飼料、そして私たち人間用の食べ物を買うのです。野菜はどこのスーパーでも売られていますが、面倒なのがパンです。バケットという種類のフランスパンを探すのですが、乳成分を含まないバケットを扱う店は限られています。最も家から近いのは駅前のパン屋ですが、そこで売り切れだった場合は一駅離れたところにあるスーパーまで行かなければなりません。そのため、見つけたときは五、六本まとめ買いしておくことが多いです。
人間用の食料の場合、常に冷蔵庫に入れておくのは豆乳と野菜ぐらいで、あとはその時々で思い付いたものを買います。野菜は近所のスーパーや八百屋で買っています。完全無農薬の有機野菜が体にはいいのでしょうが、それほどこだわってはいません。せいぜい農薬規制の少ない中国産の野菜を避けるようにしているぐらいです。有機野菜にこだわらないのは、売っている店が近所にないからではなく、自分にとってそれに制限するだけの理由が見つからなかったからです。もちろん有機野菜に反対はしません。ただし、有機農法とはいっても、アイガモ農法には断固反対です。農薬を使用せず、水田に放し飼いにしたカモによって害虫を駆除するという近年盛んな農法ですが、大半の農家では役目の終わったアイガモを殺して食べてしまうのだそうです。有機農法が環境に優しいというなら、動物にも優しくあるべきだと思います。
我が家では、家族全員がそろう午後七時過ぎに夕食を取ります。夕食をすませるとチャボとハトは眠気をもよおし、階段を一段ずつ飛んで上がって二階の寝室へと向かいます。鳥は高い所で寝る習性を持っており、チャボとクジャクバトは各々ドアや屏風の上など好みの場所にとまって寝ます。
私は音楽を作ったり演奏したりするのを生業としています。海外や地方での公演に出かけている期間を除いて、普段東京の自宅で生活しているときは、鳥の世話の合間を縫って仕事をしていると言ったほうが適切かもしれません。何をしている時でも、鳥のことを優先的に考えてしまいます。
私がベジタリアンになったのは、鳥を含むすべての動物たちを尊重しようと考えたからです。この考え方を、動物の権利を尊ぶという意味で「アニマルライツ」と呼びます。哲学・倫理学・法学の各分野でさまざまに定義の異なるとても複雑なテーマではありますが、私が考える動物の持つ最も基本的な権利とは「苦しまない権利」「殺されない権利」「搾取されない権利」です。だから、私は彼らの権利を守るために肉食をやめました。
私は生まれてから何十年間も平気で肉を食べて生きてきましたが、アニマルライツの立場から数年前からベジタリアンに、そしてさらに厳格なヴィーガンになることを決心しました。具体的には、チャボとともに生活するようになり、彼ら動物の権利に目覚めたのが直接のきっかけと記憶しています。私と同じような理由でベジタリアンやヴィーガンになった人たちは世界中にたくさん存在します。私は音楽家として、自分の創作活動を通じ自分がアニマルライツやベジタリアニズムの提唱者であることを公言していきたいと望んでいます。

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はじめに

いまの日本は菜食ブームだと言います。テレビや雑誌などで、LOHASやマクロビオティックについての特集を見かけた方々も多いのではないでしょうか?しかし、わたしの実感としては、町にベジタリアン・レストランが増えているとか、そういう状況に日本はまだまだなっていないと思うのです。
わたしはミュージシャンですので、ヨーロッパやアメリカに演奏旅行に行くことが多いのですが、欧米では大きな街ならたいていどこでもベジタリアン・レストランがあります。さらに、普通のレストランに入って「自分はベジタリアンなんだけど」と言えば、そういうメニューを作ってくれることが多いです。
しかし、日本ではまだまだそういう融通が全然きかない。日本の場合、アレルギー問題などのせいで、食品の品質表示がきちんとされるようになってきた事はとてもいいことだと思うのですが、まだまだベジタリアンに対する理解がないのが現状だと思います。
たとえば、日本ではテレビに出ているタレントが「自分はベジタリアンだ」と言ったりはしないわけです。それにひきかえ、たとえば次の海外のミュージシャンたちの名前には、みなさん、聞き覚えがあるかと思います。
ポール・マッカートニー、ホイットニー・ヒューストン、ジェフ・ベック、ボーイ・ジョージ、マイケル・ジャクソン、プリンス、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、ジョニー・ロットン、プロディジー、ビースティ・ボーイズ…などなど。
彼らは全員、自分がベジタリアンだと公言しているミュージシャンたちです(「IVU -International Vegetarian Union」のデータを参考にしました)。つまり、誰でも知っているようなミュージシャンが普通にベジタリアンなわけで、欧米では肉食を止めることがごく自然なことなのです。
そういう開かれた状況が他の国ではあるんだってことを、わたしはまず、みなさんに知って欲しいと思います。そして、もうひとつ。先にあげたミュージシャンのほとんどに共通することがあります。彼らはまず“人間による動物虐待”への問題意識が根底にあって、菜食生活を始めた人たちです。
日本の場合、動物の権利(アニマルライツ)問題は脇に置いておいて、「美容のため」「健康のため」「なんとなくオシャレだから」といった理由で、菜食がブームになっている。そのあたりに、わたしはちょっと違和感をおぼえます。

著者
著者
わたしがベジタリアンになった理由は、自分の永年の自己矛盾を解決するためでした。わたしはずっと昔から動物たちが可愛くて大好きでしたが、肉は食べていました。動物が好きなのに肉を平気で食べてしまうというのはおかしな話です。どうしたらこの矛盾を解決できるか?と考えて決断したのが、ベジタリアンになることでした。この本のサブタイトル“Cruelty Free Life”とは、欧米のベジタリアンの間では広く使われている言葉で「動物虐待のない生活」という意味です。人間は動物の肉を食べるだけでなく、毛皮を衣類にしたり、ペットショップで売り買いしたり、動物園で見世物にしたり、さまざまな動物虐待を行っています。わたしは地球上から動物虐待がなくなれば良いと願っています。そのために誰でも出来ることが、まず肉食を止めてベジタリアンになることだと思っているのです。
たまに、「食の知識なくしてベジタリアンになるのはよくない」という意見を聞きます。また、こうした意見に惑わされてベジタリアンになるのは難しいと思っている人も多いのではないでしょうか。食の知識はあるにこしたことはないとは思いますが、まず肉食を止めることが大切だと思います。ベジタリアン食の勉強はそれからゆっくりとやってゆけば良いのですから。この本は一度目覚めれば簡単にベジタリアンになれる、という自分の体験や日々の生活を書きつづったものです。

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