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ベジタリアンの食材について

以前は「ちゃんと野菜を食べないと身体に良くない」と言われたものです。それが、ベジタリアンを公言している今では、「一体何を食べて生きているのか?」と問われるようになりました。答えは簡単です。私は肉、魚、貝、乳製品以外のものを食べて生きているのです。牛乳を飲まずにカルシウムをどうやって摂取するのかと尋ねられることもありますが、カルシウムは、ホウレンソウやチンゲンサイなどの野菜や、ワカメなどの海藻に豊富に含まれています。世の多くの人々は、肉や魚を食べないのは身体に悪いと思い込んでいますが、何を根拠にそう思いこんでいるのでしょう?肉や魚が健康な身体づくりに不可欠というのは、私は偏見だと思っています。実際、野菜は美容や健康に良いと言われています。しかし、私は健康を目的にベジタリアンになったわけではないので、菜食の効能をここで力説しようとは思いません。
私の主食は、白米、玄米、黒米、赤米、うどん、そば、パスタといった穀物です。あとは豆腐、納豆、それから各種の野菜。パンは乳成分の入っていないもの。牛乳の代わりに豆乳を飲みます。私は市販の卵は食べませんが、うちで飼っているチャボの卵は食べてもよいことにしています。チャボが毎日産む卵は、放っておくとどんどん増えていって腐ってしまいます。かといって捨ててしまうのもはばかられます。それに、うちのチャボが産み落とした卵を拾って食べることは、動物を虐待する畜産業に寄与することにはなりません。殻を割ってチャボに食べさせることもあります。
ポール・マッカートニーはPETAのインタビューで「あなたは素晴らしいヴィーガンのお子さんたちをお育てになりましたが、子供がベジタリアンやヴィーガンになることを心配している人がいたら何と言ってあげますか?」という質問に対して、このように答えています。「私たちがいつも言っているのは、ベジタリアニズムは動物虐待の削減や地球資源の保護に有効であることです。また、健康にも良いということは今では医者も認めていると思います。これが最初のステップです。次のステップは、スーパーに行っておいしいベジタリアン向けの食品を探してみることですね。最近は簡単に手に入るようになりましたよ。難しいことはありません。もし心配ならば、事実を確かめて、詳しく調べて、やってみることですね。」(『Animal Times』2005 Summer)残念なことに日本ではどのスーパーにもベジタリアン向けの食材があるという状況ではありませんが、工夫次第で簡単にベジタリアン生活を送ることができます。

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ベジタリアニズムについて

肉を食べない人はベジタリアンと呼ばれています。ベジタリアンとは単に「野菜を食べる人間」を意味する言葉ではありません。日本では「菜食主義」と呼ばれていますが、その語源はラテン語の「Vegetus」(活発、生命、力強い、などを意味する)にあります。西洋では、古代ギリシャのピュタゴラス学派の人々が肉食を拒否したコミュニティを形成していたことに習い、一九世紀までは肉を食べない人々のことをピュタゴリアンとも呼んでいました。現代のベジタリアニズムの元になったのは、英国ケントで一八四七年に創始された「ベジタリアン・ソサエティ」の運動です。ベジタリアンという言葉が普及したのも彼らのおかげです。「ベジタリアン・ソサエティ」は、もともとケントにあったホーセル夫妻が運営するベジタリアン病院から始まった運動です。初年度の会員数は四七八名で、翌年には「ザ・ベジタリアン・ミーティング」という会報を五〇〇〇部発行しました。
一八七七年には「ザ・ロンドン・フード・リフォーム・ソサエティ」が会員のアリソン博士によって設立され、「ベジタリアン・ソサエティ」のロンドン支部になりましたが、後に本部からは独立し、イギリスにおける二大ベジタリアン団体として成長しました。この二つの団体は一九世紀後半から二〇世紀初頭にかけて積極的に活動を行いました。マハトマ・ガンジーは、ロンドン・ベジタリアン・ソサエティのメンバーでした。また、本部の方にはバーナード・ショーが所属していました。二つの団体は一九六九年にはまた一つになり、英国ベジタリアンソサエティとして現在に至っています。
同団体は、一九七〇年代にベジタリアン向けの食品添加物や料理の研究部門を開設し、これは後にコードン・ヴァート料理学校へと再編されました。ここではプロのベジタリアン料理のシェフを養成しています。現在、イギリスの本屋にはベジタリアン向けの料理本がたくさん並んでいますが、これはベジタリアン料理がイギリスの大衆に広く普及している証拠です。当初、ベジタリアン・ソサエティの会員は肉、魚、鳥肉を一切食べませんでした。その後、ベジタリアンは各個人の基準によって肉以外の何を食べないか、何を食べるかを決めました。現在は、何を食べるベジタリアンかによってその呼称も様々に細分化しています。たとえば、魚を食べるペスコ・ベジタリアン、卵を食べるオヴォ・ベジタリアン、乳製品を食べるラクト・ベジタリアン、卵と乳製品を食べるオヴォ・ラクト・ベジタリアン、肉、魚、乳製品、蜂蜜を一切食べないヴィーガン、果物しか食べないフルータリアンなどがあります。
またベジタリアンとは言えませんが、魚を含む有機製品を食べるマクロビオティック、オイルを摂らないオイル・フリー、砂糖を摂らないシュガー・フリー、さらに様々な健康食マニアまで、現代では「ベジタリアン」という概念や呼称の幅は広くなっています。これらの様々なベジタリアンの共通性は何を食べないかという点にしかなく、必ずしも哲学やライフスタイルが一致しているわけではありません。
日本では宮沢賢治の菜食主義がよく知られています。彼は、『ヴヂタリアン大祭』という小説の中で、ベジタリアンとは「動物質のものを食べないという考のものの団結」であり、日本では菜食主義と訳すが「菜食主義者」よりは「菜食信者」という方が適切であると記しています。そして菜食信者には「同情派」と「予防派」の二種類があると論じています。「同情派」とは「あらゆる動物は生命を惜しむこと、我々と少しも変わりはない、それを一人が生きるために、ほかの動物の命を奪って食べるそれも一日に一つどころではなく百も千のこともある、これを何とも思はないでいるのは全く我々の考えが足らないので、よくよく喰べられる方になって考へて見ると、とてもかあいそうでそんなことはできないとかいう思想」と定義しています。一方の「予防派」とは、「これは実は病気予防のために、なるべく動物質をたべないといふのであります。則ち、肉類や乳汁を、あんまりたくさんたべると、リウマチスや痛風や、悪性の腫瘍や、いろいろいけない結果が起こるから、その病気のいやなもの、又その病気の傾向のあるものは、この団結の中に入る」としています。
さらに、菜食信者を「実行」の面から三つに区分しています。まず、獣、魚などの肉類はもちろん、ミルク、チーズ、バターなども一切いけないという人々。次にチーズやバター、ミルク、卵などならば命をとるわけではないから差し支えないという人々。最後に、いくら動物の命をとらないと言ってもそんなことは無理だから、どうしてもという場合は仕方なく泣きながらでも食べてもよい、しかし、普段はなるべく植物質のものを採り、命を大切にする精神を忘れないように心掛けるという人々です。宮沢賢治はこの分類でいうと「同情派」であり、実行の面では三番目の立場をとっています。宮沢賢治はこの思想に基づいて、動物や昆虫が登場する数多くの小説を書きました。例えば『よだかの星』は、よだかという鳥が生きるために他の生物を殺すのが嫌で嫌でたまらなくなり、ついには大空高くへ飛翔し続けて餓死して星になってしまうという、とても悲しい物語です。宮沢賢治は仏教思想の影響を強く受けていました。そして、人が殺生をしてまで食べざるを得ないことに、限りない悲しみを抱いていました。しかし、現実は厳しく、自分の健康のために肉を摂取せざるを得ない悲しい状況に陥ってしまい、泣く泣く食べたといいます。ところで賢治は『ヴヂタリアン大祭』の中で、肉、魚はもちろん卵や乳製品を拒む人々の多くは「予防派」の人々だと述べています。宮沢賢治は、「予防派」は動物の命よりも自分の病気や健康を大事にしている考えであるから、自己満足的とみなしていたのでしょう。しかし、もし賢治が「予防派」のように徹底した菜食主義を実践できたなら、ここまで食について苦悩することはなかったのではないでしょうか。
この「予防派」の人々のように肉、魚はもちろん卵や乳製品の摂取も拒む人々のことを、現代ではヴィーガン(Vegan)と呼んでいます。宮沢賢治が菜食を始めた一九一八年頃には、まだヴィーガンという概念は存在しませんでした。ヴィーガンとは、一九四四年に英国レイチェスターの「ベジタリアン・ソサエティ」のメンバーだったドナルド・ワトソンによって作られた造語です。彼は仲間と一緒に乳製品を拒むベジタリアンのグループを形成しましたが、他のベジタリアンと意見が合わず、分派して新しいグループを作りました。彼らは「Vegetarian」という言葉の頭と語尾をくっつけた名称ヴィーガンを名乗って、新しい活動を始めました。
ドナルドによれば、「ヴィーガンはベジタリアニズムの論理的帰結」なのだそうです。ドナルドは、一九四四年後半に、ヴィーガン・ソサエティを設立しました。その目指すところは、肉、魚介類、鳥肉、卵、動物の乳、バター、チーズ、蜂蜜などを除外した植物性食品を基礎にした食生活と、衣服や靴を含む動物製品、およびシルク、珊瑚のような昆虫類を使った製品なども一切使用しないライフスタイルです。それはいかなる形式であれ動物(生物)の搾取をなくした、分別ある人間社会を営むことが目的とされています。英国ヴィーガンソサエティのヴィーガニズムの定義は以下のようなものです。「ヴィーガニズムは食品、衣服、あるいは他のいかなる目的にせよ、動物に対するすべての残酷な扱い、搾取を拒否したライフスタイルと哲学を(実際的で可能な限り)追求し、そして、人間、動物、そして環境に寄与する動物に無害な代替製品の使用と発展を助長するものである」。
一九六〇年にはジェイ・ディンシャーによってアメリカ・ヴィーガン・ソサエティが設立されました。彼らはイギリスのヴィーガン哲学を継承し、さらにインド哲学の「Ahimsa」(アヒンサ)という考え方をとりいれました。アヒンサとは「non-injury(無害な)」という意味です。仏教には「殺生をするな」という教えがありますが、アヒンサは、たんに他の生物を殺さないというだけではなく、他の生物に対していかなる苦痛、損害、害悪を、「思考」、「言葉」、「行為」によって及ぼさない、という深い意味があります。ですからアヒンサとは他の生命を尊重し傷つけない憐れみと慈悲に基づく哲学であると言えます。そして、アヒンサは自己節制と自己統御の実践によってもたらされるものであるとされています。こうした哲学を取り入れて、ヴィーガニズムは、ただ単に動物性の食品や製品を拒否する政治的な行動哲学であるだけではなく、生命を尊重する慈悲の哲学であり、生命を傷つけず環境に優しい新しいライフスタイルを希求するエロコジカルな哲学に発展したと言えるのです。
したがって、「ただ植物性のものだけを食べる人」はヴィーガンではなく「完全なベジタリアン」と呼ばれています。つまり、ヴィーガニズムにとって重要なのは食生活だけではなく食生活を含むライフスタイル全体にあるからです。ジョアン・ステパニアクの本『ビーイング・ヴィーガン』(二〇〇〇年)によれば、ヴィーガニズムとは生命尊重の哲学であって、宗教や政治的理念ではありません。彼女によれば、アニマルライツの活動家の多くはヴィーガンだが、ヴィーガンにとって社会的政治的な実践行動は必ずしも不可欠なものではないといいます。アニマルライツの活動家すべてが必ずしもヴィーガンではないという現実も、上記のことを逆方向から証明しています。つまり、政治的理念において動物解放を行おうとする者が必ずしも動物好きである必然性がないことと同じ理由です。
私はヴィーガンでありかつアニマルライツの活動家であることが理想だと思います。なぜなら、ヴィーガンのライフスタイルは完全なる動物の解放が行われなければ実現できないと考えているからです。あるいはまた動物実験の問題がありますが、これは単に医薬品を使用しなければいいという問題ではありません。現実問題として医療を完全に拒否することはできないし、また、動物実験をせずに医薬品を作るための新しい指針と代替医療、またそのような方向へと進む社会啓蒙運動が必要だと思います。英国ヴィーガンソサエティは、ヴィーガンの定義において動物性食品、製品を「実際的で可能な限り」拒否すると述べていました。つまり、動物性食品や製品を食べない、使わないという選択肢がある場合には、そうすべきだということです。
実際、ヴィーガンになろうと思ってもすぐになれるわけではありません。肉や魚を食べないことは決断してすぐに行動に移せますが、乳製品や動物由来製品を食べたり使用したりしないことはそれだけでは実践できません。まず、どのような食品が乳成分を含んでいるか、どのような製品/素材が動物由来であるかを調べなければいけません。また、すでに所有している動物性製品は使用し続けるのか処分するのかなど、考えなければならないことが山積みになるからです。

チャボ
チャボ
私が肉食を止めた直接のきっかけは、チャボを飼い始めたことでした。ニワトリによく似たこの動物と暮らすようになって、ニワトリたちが食用にされるためにどんなに酷い扱いを受けているか、そして牛や豚やその他の動物たちを含む肉食全般について、初めて真剣に考え始めました。というよりも、肉食の意味に気付いたと言うべきでしょう。それまでも肉食の意味が何であるかは知っていたつもりです。しかし、気づいてはいなかったのです。ここが大事なところです。人間は、気がついて初めて実行に移すことができるからです。知識だけではそうはいきません。自分が食べている肉は、人間によって殺された動物の死骸の一部です。やきとりもフライドチキンも、チャボより少し大きい体をした仲間のニワトリの死骸なのです。ニワトリたちは養鶏場の狭い檻の中に閉じ込められ、成長したら殺されます。卵を採るためのメンドリも、年をとって卵を産めなくなると殺されます。豚や牛にとっても状況は同じです。人間に搾取され殺されるだけの運命です。彼らには天寿など存在しません。若いうちに殺されてしまうからです。彼らはただの食材とみなされていて、動物としての尊厳も与えられません。
肉食は、人間による残酷な行為が積み重なった上に成り立っているのです。肉食を止めるということは、肉や肉加工品をボイコットすることになります。それは、畜産業、食肉加工業そのものをボイコットすることにつながるのです。動物の死骸を使っているのは食肉だけではありません。毛、皮膚、骨、臓物、体液などが皮革業者やその他加工業者の手によって変型され、毛皮や皮革など様々な製品に化けています。そこで私は、動物由来製品を購入することは動物虐待産業への寄与につながるということに気づいてやめました。これも、野生動物を捕獲する狩猟業、家畜を飼育する畜産業から、加工・製造する製造業者、製品を販売する卸売/小売業者までをボイコットする政治的行為なのです。食料品店で販売されている卵や牛乳も、動物虐待を伴う製品なので買うのをやめました。チーズやバターなどの乳加工品も当然やめました。
私はこうして段階的にベジタリアンからヴィーガンに移行して行きました。実際、私自身、最初はこれらの製品の消費を完全にやめるのには少々困難を感じました。まず、市販のパン、ケーキ、菓子類には乳が含まれているし、外食すればピザやパスタ、さらにサラダにまでチーズが入っています。日本食では、麺類をはじめいろいろな惣菜の調味料にカツオ出汁が使われています。最初のうちはうっかり食べてしまって「しまった」と思うようなことがよくあります。しかし、この「しまった」が、やがて深い罪悪感に変化します。宮沢賢治が感じたように、食べることに対する悲しみが生まれるのです。しかし私は、そのような感情に苛まれながらも食べようとは思わないので、外ではそばやうどんを食べないことに決めました。これは比較的、最近のことです。肉や魚、卵や乳製品を食べることに対する罪悪感、これは自分の内部に生じる感覚であり、他人に説明できるものではありません。この感覚をあえて表現しようとすれば、「穢れ」の感覚に近いかもしれません。汚いモノに触れて自分が穢れてしまったと感じるときの、嫌悪感と罪悪感が混ざったような感覚です。
街にあふれる大量の動物由来製品から察するに、世の中には動物の生命を軽視する人の方が多いようですが、そのような人たちを相手にこの感情を説明したいとは思いません。肉食をやめた時点で、私の内部で、食についての個人的な倫理観が生まれたのです。これは自分にとって絶対的なものなので、これに従って食べるものや着るものを選ばざるを得なくなります。最初はかなり難しかったし、失敗することもありましたが、今ではこれが自分にとって当たり前のライフスタイルになりました。ジョアン・ステパニアクは、「ヴィーガンを目指す過程には完結というものがなく、永久に向上が続くのである」といった趣旨のことを書いています。生きるために他の命を奪うか、それとも餓死して死ぬかの二者択一ではありません。他の生命を出来る限り奪わない第三の生き方が可能であり、そのために何が出来るか挑戦していくことがヴィーガンのライフスタイルだと思います。幸か不幸か、現代社会では多様な食やライフスタイルを自らの意志で選択することができます。選択の可能性がある場合、私たちは動物の虐待を伴う選択肢をボイコットすることで、動物を生かす選択ができるのです。
「動物虐待のない事」を「Cruelty-Free」と呼びます。例えば、動物実験を行っていない製品や動物製素材を使っていない衣服などは「Cruelty-Free」な製品と呼びます。以前、ある毛皮反対デモに参加した時の事です。銀座の街角でミンクか何かの毛皮を着込んだ中年女性にデモ参加者の一人が毛皮反対のチラシを渡しました。すると、この中年女性は「人間は生きる為には他の動物を犠牲にしなけりゃいけないのよ」と吐き捨てるようにこう言ったのです。これは人間のまったく高慢で身勝手な考えではないでしょうか?他の生物は人間の為に生きているのですか?違うと思います。人間には地球環境を支配し、そこに住む生物たちを搾取する権利があるとでも言うのでしょうか?違うと思います。もちろん、人間が地面の蟻一匹(喩えです)殺さずに生きてゆく事は残念ながら困難です。しかし、もし、足下に蟻が一匹歩いているのを見つけたら、踏まずに歩く事はできるでしょう。簡単な事じゃないですか?もし、あなたが蟻の「生命」の事を考える事ができたら、また、蟻の身になって考える事ができたら、とても踏みつぶす事などできなくなります。これはとても素敵な事ではないでしょうか?どんな生物にもそれぞれの「生命」がある、と考える事が「Cruelty-Free」な生活の実践につながります。わたしは、できるだけ「Cruelty-Free」な生活をしてゆきたいと望んでいます。

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我が家の動物たち

ある日、自転車で近所の商店街を走っていると、ペットショップの店先にケージに入った茶色のニワトリを見つけました。しかし数日後に再び行ってみると、ニワトリの姿はありませんでした。誰かに買われたのかと思い店の人に尋ねると、ニワトリはお客さんからの預かりものですでに返してしまった、と説明されました。
そのときニワトリを飼いたいと思ったかどうかは、自分でもはっきり覚えていません。普段の生活でニワトリを見かけることはあまりないので、珍しく思っただけかもしれません。鶏肉を食べているにもかかわらずニワトリが珍しいとはおかしな話ですが、都会では生きたニワトリを見る機会はめったにないのです。
それ以来、ニワトリのことが気になり始め、近所に鳥を売っている店があることを思い出したので行ってみることにしました。それは古い木造の二階建て住宅で、外も中も壁面が見えないぐらいに鳥かごが積み上げられた得体の知れない店でした。そもそもペットショップなのか、趣味で飼育しているペットを陳列しているだけなのかもはっきりしません。狭いケージにいろんな種類の鳥たちが身動きもできないぐらいに詰め込まれており、めったに掃除をしてもらえないのか底面にはふんが積もっています。店先には、配合飼料とふんの臭いが混じり合って漂い、道ゆく人たちが眉をしかめるほどです。
店外にはチャボ、キジ、ウズラ、白鳩、ウサギ、ハクビシンなどがいました。店内には名前も聞いたことのないような珍しい野鳥もいます。外に並べられた鳥たちと比較すると、店内の野鳥たちは世話が行き届いているようでした。外は西日が当たって地獄のような暑さなのに、店内は空調が効いていてとても涼しく快適です。どうやらここの店主は野鳥たちを大事にしていて、外の鳥たちのことはどうでもいいようです。
蒸し暑さでくたびれている様子のニワトリを眺めていると、店内から作務衣を着た年老いた店主が出てきて、「それはサザナミというチャボだ」と説明してくれました(後で調べたところチャボの品種にサザナミというものはなく、正しい名称は鈴波のようです)。
店主は、二階のベランダに張った金網の罠で野鳥を捕獲して卵を産ませて増やしているのだ、という話を自慢げにしました。野鳥を捕獲することも卵を採ることも鳥獣保護法に抵触しているはずですが、当時の私はそのような知識を持ち合わせておらず、「そうですか」とただ聞くだけでした。店主はもともと大工だったらしく、店の鳥かごはすべて自作のものだと言いました。私は狭いケージに詰め込まれた四羽のチャボを見ているうち、なんだか気の毒になり四羽とも買うことにしました。四羽のうち二羽がオス、二羽がメスでした。飼育方法を簡単に説明してもらい、店主のバイクでチャボを自宅まで運んでもらいました。

チャボ
チャボ
鳥を飼うのは私にとって初めての経験でした。実物のチャボを見たこともそれまでありませんでした。庭に犬猫用のケージを設置し、中に四羽のチャボを入れてみました。「棒を渡しておくとその上にとまって寝る」と店主に言われたので、木の棒を何本か拾ってきて中に入れました。それから数時間、ケージを庭に出していましたが、結局家の中に移動しました。数日後には、ケージの中に閉じ込めておくのはかわいそうな気がして、部屋の中や庭で放し飼いにすることにしました。
チャボは愛玩用に小型化された家禽です。我が家のチャボは銀鈴波という種類で、羽毛は白と茶のまだら模様です。資料によると、チャボは江戸時代初期にインドシナ半島から中国を経て日本にもたらされました。国内だけで三〇近くの種類のチャボがおり、その多くは文政年間に作られたそうです。チャボはニワトリと比べて脚が短く、丸っこくかわいらしい体つきをしています。銀鈴波は日本独自の種類で、昭和一六年に天然記念物に指定されています。江戸・東京を中心に愛好家が多いとのことです。
我が家に来た当初、チャボはみなおびえていました。特に一羽のオスは小刻みに体をぶるぶる震わせていました。店でよほど酷い扱いを受けて人間不信になっていたのでしょうか。それとも元来チャボは臆病な性格の動物なのでしょうか。頭が天井につかえるぐらい狭いケージに何ヵ月も(あるいは何年も)詰め込まれていたせいか、みなトサカが曲がっています。羽毛も汚れていて、配合飼料の臭いがしみついていました。
しかし毎日世話をするうちに次第になめらかな羽毛に変わり、彼らも私との生活に慣れてきて今ではすっかりなついてしまいました。膝の上に飛び乗ってごはんをねだったり、私が昼寝しているとわらわらと集まってきてベッドの上で一緒に寝たりします。そのうち、ひなも生まれました。
チャボは聴覚がすぐれていて、かすかな物音にも敏感に反応して様々な声を出します。朝は日の出とともにオスが「コケコッコー」と鳴き始めます。これは近所迷惑なので、部屋の遮光カーテンをきっちりと閉めて、チャボが日の出に気づかないようにしています。
食べ物は私が用意する食事のほか、庭の土をつついたり足で掘ったりして、昆虫やミミズなどをつかまえているようです。オスが獲物を見つけると、くちばしでくわえたり落としたりを繰り返しながら「コココココ」と鳴いてメスに知らせます。すると、気づいたメスが駆け寄ってきてそれを奪って食べます。オスは優しいので、見つけた食べ物はメスに譲るのです。
メスはほぼ毎日卵を産みます。チャボの卵は薄い茶色で、普通のニワトリの卵より一回り小さめです。メスは「キーキー」と高い声を出しながら、安全に卵を産める場所を探します。たとえば部屋の隅のくずかごの中や机の上など高い場所にあるダンボール箱など、敵に見つかりにくい場所を好みます。卵を無事に産み終えると今度は「コッコッコッコッ、コケー!コッコッコッコッ、コケー!」と鳴いて、他のチャボに知らせます。またこれと同様の声は、危険を感知した時にも出します。たとえばカラスの鳴き声が聞こえたとか、野良猫の影が横切ったときなどに、この鳴き声で他のチャボに危険を知らせます。
天気のいい日にチャボを庭に出すと、砂浴びを始めます。脚で掘り返した砂を羽で全身に浴びせるのです。これは羽毛についたダニを落とす目的で行われ、チャボにとっての入浴に相当します。スズメやハトは水を浴びますが、チャボは水の代わりに砂を浴びるのです。チャボは砂浴び中に、砂や小石を拾って食べることがあります。それらはお腹にある砂嚢(そのう)という器官にためておいて、食べ物を砕いて消化するのに使われます。硬い植物の種なども砂嚢のおかげで簡単に消化することができるそうです。
チャボの足には四本の指がついていますが、オスのチャボの足の後ろ側には、けづめと呼ばれる長くて大きな爪状の突起があります。これは攻撃用の武器になります。また、オス・メスとも先のとがったくちばしを持っていますが、しばしば硬いところに先を打ち付けて手入れをしています。これはくちばしを研いでいるのではなく、ごはんを食べる時に邪魔にならないように長さを調節しているのだそうです。
養鶏場では、くちばしやけづめを焼ごてで取り除いてしまうと聞きます。ケンタッキーフライドチキンでも殺す前のニワトリに同じ処置をするそうです。これはニワトリ同士の突つき合いや喧嘩を防ぐためだそうですが、作業効率を優先させた動物虐待でしかありません。
しばらく砂浴びを続けていると、チャボはごろんと横向きに寝転がり、脚を痙攣させます。また、強い日射しを浴びると、黒目が収縮して、羽根を広げ両脚をまっすぐ伸ばしたまま動かなくなります。これらの動作に何の意味があるのかは私にはわかりません。眠る時は、屏風の上など高い所に飛び乗り、座ったままの格好で顔を羽毛につっこんで寝ます。チャボをつかまえるにはコツが必要です。チャボは驚くと羽根をばたつかせますが、そうなるとつかまえることは困難です。羽根を閉じた状態のチャボを、背後からすばやく両手で包み込むようにつかまえると、うまくいきます。そして自分の体にぴったりとくっつけると安心するようです。このつかまえ方を編み出すまでに、相当の試行錯誤が必要でした。
クジャクバト
クジャクバト
チャボとの共同生活に慣れた頃、クジャクバトも飼い始めました。クジャクバトは、扇形に広がった尾を持つ、全身真っ白な美しいハトです。これも愛玩用に人の手によって改良された、自然界には存在しない種類の鳥です。普通は鳥かごに入れて飼うのでしょうが、我が家では放し飼いにしています。飛ぶことはできますが、尾が重いので普通のハトのように長い距離は飛べません。
ペットショップでオスとメスのつがいを買ったのですが、ひなが二羽生まれて、現在ではクジャクバト一家は合計四羽です。クジャクバトは巣の中に卵を二つ産んで、オスとメスが交代で暖めます。一方が暖めている間、もう一方は庭に出て巣の材料となる小枝を集めたり水浴びをしたりしています。水浴びは、天気のいい日は庭に置いてある平たい皿で、雨の日や夜間は洗面所のシンクで行います。
水を浴びた後は、羽根を片方ずつ広げて乾かします。水に濡れた状態のクジャクバトの羽毛はいい匂いがします。普段から鳥の羽毛はいい匂いがするのですが、水分を含むと匂いが濃くなるようです。チャボとクジャクバトは家の中で棲み分けをしていて、夜はそれぞれ決まった場所で寝ます。しかし、チャボが配合飼料をつついているところへクジャクバトが飛んで来ることもあります。また、チャボが昼寝をしているとクジャクバトもやってきて寄り添って寝ることもあります。
クジャクバトに触れようと人間が手を出すと、「ぐるっぽ」と鳴きながら鋭いくちばしで威嚇してきますが、一定の距離を保っていれば平気です。彼らも最近はすっかり慣れて、今では頭や肩の上にも乗ってくるようになりました。クジャクバトの鳴き声ですが、チャボに比べると語彙が少ないように思われます。「ぐるっぽ」「ぶわぶわ」ぐらいしか私には聞き分けられません。時々クジャクバトと目が合うと、両方の羽根を広げて挨拶してくれることがあります。そして「ぐるっぽ」と鳴きながらその場で回転を始めます。実はこれも「挨拶」ではなく、威嚇なのかもしれません。オスがメスに求愛する時は、オスが鳩胸を前方に突き出してぐいぐいとメスににじり寄って行きます。求愛に成功すると、ピジョンミルクと呼ばれるものを砂嚢の中から吐き出して口移しに与え合います。ピジョンミルクは、母ハトがひなに与えるベビーフードにもなります。ひなが自分で配合飼料を食べられるようになるまでは、ピジョンミルクのみで育てるのです。
クジャクバト
クジャクバト
チャボとクジャクバトに続いて、アヒルが我が家にやって来ました。皇居のお堀で発見された迷子のアヒルが保健所に収容されているという情報をインターネットで見つけ、我が家で引き取ることにしたのです。引き取り手がいなければ殺処分されるところでした。保健所へアヒルを迎えに行き、まずその体の大きさに驚きました。真っ白な羽毛はとてもなめらかです。くちばしの色が鮮やかな黄色ではなく茶色がかっていることから判断すると、高齢のようです。体に触れようとすると大きなくちばしで威嚇してきます。手に跡が残るほどの強さで噛みついてくるので、たいへん痛いです。
このアヒルはおなかを引きずっており、保健所の職員によるとヘルニアという病気らしかったので、動物病院に連れて行き手術を受けさせました。しかし、飛び出たおなかは完全には治りませんでした。幸い命に別状はないというので、家に連れ帰りました。後日その手術を担当した獣医から、アヒルをもう一羽引き取らないかと持ちかけられました。引っ越しでペットを飼えなくなった飼い主が、安楽死を希望してアヒルを動物病院に持ち込んできたのでした。獣医は安楽死を拒否し、そして引き取り手を探していたところにたまたま私がヘルニアのアヒルを連れて現れたのでした。都心でアヒルを飼おうとする人間はあまりいるとは思えないので、今考えると不思議な巡り合わせです。
アヒル
アヒル
もちろん私は、その身寄りのないアヒルを引き取ることを即決しました。このアヒルは一羽目よりも体が小さく、真っ白な羽根に青や茶の羽毛が混じっています。両目は白くにごっており、どうやら白内障を患っているようです。「とてもおとなしくて鳴かないアヒルだ」と獣医は言っていましたが、これは何故かというと目がよく見えないため人間が近づいてきても気がつかないだけ
でした。人間の声が聞こえたり体に触れられたりすると、とたんに「ガーガー」と騒ぎ出します。人間に対しては警戒心が強く、よそよそしい態度を見せるアヒルですが、二羽のアヒル同士はすぐに仲良しになりました。大きいアヒルは目の悪いアヒルを気遣い、食事に誘ったりプールへ誘導したり、また野良猫や人間が近づいてきたことを知らせたりと世話をやいています。二羽は常にぴったりと寄り添って行動しています。本当に引き取ってよかったと思います。
アヒルには泳ぐ場所が必要なので世話がたいへんです。最初は大きなたらいに水を入れて庭に置いていましたが、水の入れ替え作業がやりにくいので、造園業者にプールを特注しました。体が大きいので食べる量はかなり多いです。新鮮な野菜を毎日食べさせているのですが、トマトなどの値段が高いことが悩むところです。鳴き声もとても大きく、耳をつんざくほどのうるささです。しかしアヒルが鳴くのは朝晩の食事を催促する時や人間が近づいた時ぐらいで、それ以外はいたって静かでおとなしくしているので、塀の外を走る車の騒音に比較すれば何でもありません。
アヒルは水鳥なので、陸上を歩くのはあまり上手ではありません。プールの周辺がアヒルの生活空間です。濡れた土の上をぺたぺたと歩きながら、くちばしを突っ込んでは何か食べるものを探します。特にミミズが大好物らしく、ちゅるちゅると美味しそうにすすって食べています。最初のうちは野良猫の夜襲を恐れてアヒルをパーゴラに入れて寝かせていましたが、現在は夜間でも庭に出しっぱなしにしています。アヒルほど体が大きければ、野良猫もあえて襲ってこようとはしないのです。一方、チャボやクジャクバトにとって野良猫はたいへん危険な存在です。カラスが木の上から狙っていることもあります。そのため、チャボやクジャクバトを外へ出す時は常に監視していなければなりません。
ウコッケイ
ウコッケイ
そして、本書執筆中に家族が一羽増えました。全身真っ黒のオスのウコッケイです。痩せこけたウコッケイが千葉県内の車道の中央分離帯に住み着いており、保護しなければ車に轢かれるおそれがある、という情報を家族がネットで見つけました。ペットとして飼われていたウコッケイが、何らかの理由でそこに置き去りにされたようです。発見者と千葉県警の署員が捕獲を試みたのですが、逃げ足が早いため失敗に終わったそうです。
ウコッケイを引き取りたい旨を発見者に伝えて、さっそく現場に向かいました。昼間は交通量が多く危険なので、夜になってから行くことにしました。また、日の入り後ならウコッケイは寝静まっているはずなので、昼間の活発な時間よりも簡単に捕獲できそうな気がしたのです。現場は最寄り駅から車で二〇分くらいのところで、両側車線の幅も広く整備された道路です。中央分離帯に植え込みがあり、そのどこかにウコッケイが潜んでいるのでした。植え込みはかなり遠くまで続いており、また薄暗いため黒いウコッケイの姿はまったく見えません。懐中電灯をたずさえ、植え込みの中を照らしながらくまなく探して行くことにしました。
しかし、端から端まで探してもウコッケイは見つかりませんでした。半分諦めながら歩いていると、植え込みの上に黒い影を発見しました。ずっと下ばかりに気をとられていたため気がつかなかったのですが、ウコッケイは植え込みの上で寝ていたのです。これも高い場所に上がって寝る鳥の習性なのでした。そっと忍び寄って捕まえようとすると、人間の気配に気づいたウコッケイは「コケー」と叫んで一目散に逃げ出しました。
その小さな黒い影を私たちが追いかけます。すぐ側を車が走り抜けていくので、みんな命がけです。植え込みの中に逃げ込んだウコッケイは、木の枝で手が届かないので捕まえようがありません。しばらく待っているとひょっこり飛び出してくるのですが、追いかけるとまた中に隠れてしまう、これの繰り返しでした。
結局、車道を横切って脇の歩道まで追い詰めたところでやっと捕まえました。捕まえた感触では予想していたほど痩せておらず、がっしりとした体格をしていました。おそらくこれまで草や地中の昆虫などを食べていたのでしょう。また車道の真ん中では犬や猫などの天敵に襲われることもないので生き延びてこられたのでしょう。
ウコッケイは漢字で「烏骨鶏」と書きます。「烏」とはカラスのことで、「黒」を意味します。ウコッケイは羽毛だけでなく骨、肉、内臓も黒いので、こう呼ばれているそうです。チャボと同様、愛玩用のニワトリとして品種改良されたもので、中国か東南アジアが原産のようです。昭和一七年に天然記念物に指定されています。ウコッケイはチャボやニワトリと同じキジ目キジ科に属していますが、ウコッケイ固有の特徴があります。まず、体全体が羽毛に覆われています。またトサカの形状がチャボやニワトリと違っており、独特のクルミ状のトサカが眉間に付いています。そして、チャボやニワトリの指の数は四本であるのに対し、ウコッケイの指は五本あります。
家に連れて帰った翌日、野外生活が長く感染症などの病気や怪我のおそれがあるということで、念のためウコッケイを動物病院に連れて行き健康診断を受けました。
ウコッケイ
ウコッケイ
結果、まったく異常がないことが分かったため、我が家の他の鳥たちと対面させました。ウコッケイはチャボの三~四倍も体が大きく、力も強いです。しかし、以前から住んでいるオスのチャボが縄張りを主張して、新参者のウコッケイに果敢にも向かって行きます。最初はウコッケイの方も応戦していましたが、徐々に喧嘩を避けてみずから退くようになりました。こうして徐々に仲良くなってくれれば良いと思います。
最初のうちはチャボの一羽のオスがウコッケイを威嚇していましたが、ある時、形成逆転してウコッケイがチャボを負かしてしまいました。それからというもの、ウコッケイが天下を取ったかのように暴れてチャボのオスを虐めるようになったので、仕方なく新たにウコッケイのメスを買うことにしました。ウコッケイのメスがやって来ると、ウコッケイのオスは前よりは落ち着きましたがチャボのオスと顔を会わすとケンカを始めてしまうので、チャボとウコッケイは別の場所で飼う事になったのです。

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