1969年夏にアメリカで開催されたウッドストック・ミュージック・アンド・アート・フェスティバルに触発されて、日本でも大小様々なロック・フェスが開催されるようになりました。 ウッドストックを見てきた成毛滋が始めた「10円コンサート」やニュー・ミュージック・マガジン主催の「日本ロック・フェスティバル」等がその濫觴でしょうか。 70年、第3回目の「日本ロック・フェスティバル」にアメリカからスビリットが来日予定でしたがドタキャンになったり、大坂万博にカナダからライトハウスが来日したり、同じく万博に来ていたイギリスのアライヴァルが日比谷の野音でフリー・コンサートを開くなどしました。チケットは残ってませんが私もそれらのうちのいくつかを見に行った記憶があります。 そして、70年の暮れ、「日本ロック・フェスティバル」にも関わっていたキョードー東京が主催で始めたのが「ロック・カーニバル」のシリーズです。 その第一回はイギリスからジョン・メイオールを呼んで有楽町の日劇で一週間にわたって繰り広げられました。ジョン・メイオールはレコードも聴いていましたから私にとって憧れの外人ロック・アーティスト体験の第一号だったといえるでしょう。
ジョン・メイオールの69年のアルパム「ターニング・ポイント」はよく聴いていました。この頃からドラムレスの編成になり、来日時もドラムレスで元キャンド・ヒートのラリー・テイラーとハービー・マンデルがサポートしていました。 当時は正直いささか地味に感じましたが、今再び当時のメイオールの音源、来日メンバーにヴァイオリンのドン・ハリスを加えて録音された「USAユニオン」(70)等を聴くととても良いです。当時のメイオールは「Quiet&Peace」をコンセプトにしていて、ドラムレスの編成もその一つの現れでした。レコードのスリーヴを見ると、「ゴミを捨てないで」とか「リサイクルしよう」といった地球環境保全の為のメッセージが書かれています。 会場となった日劇はそれまでロカビリーやGSの殿堂として「ウエスタンカーニバル」をやっていましたから、「ロック・カーニバル」はまさに新しい日本のロックの時代の到来を象徴するイベントとして始まったわけです。 一週間を通して大勢の日本のアーティストが出演しましたが、中でも強く印象に残っているのはイギリスから帰国したミッキー・カーチスのサムライでした。他の多くの日本のバンドと違いサムライはオリジナリティーある本格的なプログレ・ハードでした。これはとても新鮮でした。 そして、このイベントを皮切りに翌71年は怒濤のような外タレ・ラッシュの始まりになるのでした。