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Rock Festival in Hibiya

ロック・フェスの拠点となった日比谷野音では頻繁にコンサートが行われるようになりました。「日比谷ロック・フェスティバル」は4月3日と4日の両日開催され、日本のバンドが勢揃いしました。特に話題を呼んだのがジュリーとショーケンの新しいバンドPYGの登場でした。これにはロック・ファンからの「帰れ!」コールもあったようです。
3日のプログラムを見るとタージ・マハル旅行団がいるので、たぶん私のタージ・マハル初体験がこのコンサートのはずです。この日だったかさだかではありませんが、タージ・マハルのパフォーマンスで鮮明に覚えているのは野音のステージの床にタクワン石をもくもくと打ち付けて演奏するメンバーの姿です。これにはぶったまげました。この日はその他、陳信輝、ブラインドバード、頭脳警察等が出演したようです。
ところで来る4月12日、13日にはブラック・サバスが「マスター・オブ・リアリティー」をひっさげて来日して厚生年金でやるはずでしたが結局キャンセルになってしまいました。せっかく両日の最前列チケットを入手したのに…。

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Rock carnival #2&#3

「Rock Carnival#2」は1971年2月のBS&T公演 at 武道館。

「Rock Carnival#3」が3月のB・B・KING公演。

どちらも特にファンではなかったですが、とりあえず来た外タレは見に行こう、というのが当時の音楽ファンの心理ではなかったでしょうか。

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rock carnival #1

1969年夏にアメリカで開催されたウッドストック・ミュージック・アンド・アート・フェスティバルに触発されて、日本でも大小様々なロック・フェスが開催されるようになりました。 ウッドストックを見てきた成毛滋が始めた「10円コンサート」やニュー・ミュージック・マガジン主催の「日本ロック・フェスティバル」等がその濫觴でしょうか。 70年、第3回目の「日本ロック・フェスティバル」にアメリカからスビリットが来日予定でしたがドタキャンになったり、大坂万博にカナダからライトハウスが来日したり、同じく万博に来ていたイギリスのアライヴァルが日比谷の野音でフリー・コンサートを開くなどしました。チケットは残ってませんが私もそれらのうちのいくつかを見に行った記憶があります。 そして、70年の暮れ、「日本ロック・フェスティバル」にも関わっていたキョードー東京が主催で始めたのが「ロック・カーニバル」のシリーズです。 その第一回はイギリスからジョン・メイオールを呼んで有楽町の日劇で一週間にわたって繰り広げられました。ジョン・メイオールはレコードも聴いていましたから私にとって憧れの外人ロック・アーティスト体験の第一号だったといえるでしょう。

ジョン・メイオールの69年のアルパム「ターニング・ポイント」はよく聴いていました。この頃からドラムレスの編成になり、来日時もドラムレスで元キャンド・ヒートのラリー・テイラーとハービー・マンデルがサポートしていました。 当時は正直いささか地味に感じましたが、今再び当時のメイオールの音源、来日メンバーにヴァイオリンのドン・ハリスを加えて録音された「USAユニオン」(70)等を聴くととても良いです。当時のメイオールは「Quiet&Peace」をコンセプトにしていて、ドラムレスの編成もその一つの現れでした。レコードのスリーヴを見ると、「ゴミを捨てないで」とか「リサイクルしよう」といった地球環境保全の為のメッセージが書かれています。 会場となった日劇はそれまでロカビリーやGSの殿堂として「ウエスタンカーニバル」をやっていましたから、「ロック・カーニバル」はまさに新しい日本のロックの時代の到来を象徴するイベントとして始まったわけです。 一週間を通して大勢の日本のアーティストが出演しましたが、中でも強く印象に残っているのはイギリスから帰国したミッキー・カーチスのサムライでした。他の多くの日本のバンドと違いサムライはオリジナリティーある本格的なプログレ・ハードでした。これはとても新鮮でした。 そして、このイベントを皮切りに翌71年は怒濤のような外タレ・ラッシュの始まりになるのでした。

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